「私には、恐ろしいと思うものがいくつかある。
たとえば、私は、死が恐い」
こんにちは。
今日は山田詠美さんの言葉を紹介します。
この言葉は『姫君』という詠美さんの小説の、あとがきとして書かれたものです。
「なんか良いなぁ」と思ったので、少し長いですがお暇な方はお付き合いください。
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あとがき
私には、恐ろしいと思うものがいくつかある。
それは幽霊でもなく、歯医者でもなく、作品への酷評でもなく、
爬虫類でもなく、編集者でもない(いや、やはり、彼らは、ちょっぴり恐い)。
これらのようなはっきりと口に出せるものに恐怖を感じることが出来れば、
私の人生は、もっとシンプルになっていただろうし、
私という人間は、今よりはるかに好感をもって他人に迎えられていたことだろう。
私が怯えるのは、もっと、はるかにしち面倒くさくて、ややこしいものに対してなのである。
たとえば、私は、死が恐い。
それは普通のことだと言われそうだが、私が恐いのは、
自分の死そのものではないのである。
そんなものは、眠りの延長程度に思う。
そして、私は、寝るのが好きだ。
毎日、十時間も寝ている。
それが百年になったって、どうということないような気がする。
いつも夢ばかり見ているので、期限なしの熟睡なんて素敵だとすら感じる。
私が死を恐れるのは、後に残した数人の人々が、
確実に泣くのを知っているからである。
自惚れと笑ってくださって結構だが、私を取り巻く何人かの人々は、生活レベルで明らかに私を必要としている。
この生活レベルとは、たとえば空気や食べ物と同じくらいということだ。
その人たちの今現在を形作る要素のほんの隅っこに過ぎないけれど、
でも、私は確かに存在している。
私が死ぬということは、彼らの内から、私分の小さな欠片を抜き取ることである。
そうなれば、しばらくは痛むだろう。
痛ければ泣くだろう。
想像すると目眩がする程恐ろしい。
だから、私の夢は、死んだ時に誰も泣かない、それどころか、
その死を祝いたいくらいの嫌われ者のばあさんになることである。
ところで、私は、愛も恐い。
ある特定の人間を自分自身よりも愛しているのではないか、とふと思うとき、
私は、その対象を失う恐怖に身震いしてしまう。
今度は、他人が泣くのを思いやるのではなく、
自分が泣くのを心配しているのである。
愛情の手ごたえを感じてしまったら、人は、もうそれを知る前には戻れない。
常に小さな不安にさいなまれる。
それが嫌だから、私の夢は、死ぬまでに、極悪非道で冷酷なばあさんになることである。
しかし、道は遠い。
まだまだちゃちな私の心は、愛と死のシュミレーションで、
よろよろしてばかりいる。
そうだ、そんな不甲斐ない自分に喝を入れてやろう、と時に思いつく。
でも、どうして良いのかさっぱり解らないので、
とりあえず十時間眠ってから、原稿用紙の前に座わるのである。
けれど、そんな状況に自分を置きながらも、何をどう書いて良いのか、
まったく困惑するばかりなので、今度は、とりあえず大酒を飲んで愛すべき友人を増やしていき、
またもや彼らを失ったらどうしようと悪循環を繰り返すのである。
ああ、「懶惰の歌留多」を書いた太宰の気持ちがよく解る、と言ったら言い過ぎか。
今回は、そんな私の中で永遠に完結をみないであろう悪循環が、
これらの作品を書かせた。
進める内に、悪循環と思われていたものが、実は、
良循環(そんな言葉があるかどうか知らないが)に成り変わる瞬間もあるのだと発見して、
自分の何かを開拓したような気分になった。
嬉しかった。
死は生を引き立てる。
生は死を引き立てる。
私は、今でも、これらのことに恐怖を抱いている。
たぶん、これからもそうであり続けるだろう。
嫌味で冷酷なばあさんになる予定の私は、
愛情で織られた布で、はねっ返りの恐怖を包み、それを重荷よろしく背負い込む。
そして、そこから小出しに見せびらかして、自慢する。
見える人にしか欲しがられない、大切な大切な宝物を。
(出版社などへの感謝。略)
あ、そうだ。
ついでに、私を残して、さっさと天国に行ってしまった何人かの愛する人たちにも。
彼らは、私に、生のやるせなさの美味を教えてくれた。
ありがとう。
物書きにあるまじき感傷的な言い草と自嘲しながらも、あえてたとえるなら、
その味は、涙の絶妙な塩加減に、限りなく、似ている。
2001年 初夏
おとうとの命日を前に
山田詠美
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ぼくは山田詠美さんの小説が好きだ。
彼女の小説は正直すぎるほど正直で、
美し過ぎるほど美しく、
吐き気がするほど醜い。
彼女は、生きることの苦しさを、渾身の力で筆に込め、
それを文章として、軽く、さらっと表現してみせる。
だから彼女の小説を読む時は覚悟が必要なのである。
気を抜いて読んでいると、
自分の心の真ん中を、ズバン、と打ち抜かれることがあるから。
この体験は、時に恐ろしい。
けれど読まずにはいられないのである。
それは同時に、心が救われる時でもあるのだから。
今日も読んでくれてありがとうございます。
「人生狂わせる人間は稀少価値」
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