「イチローはすごい」
それだけで終わらせたくなかった。
彼の言葉が、自分にどんな波紋を起こしたか。
その波紋ごと書き残しておきたいと思った。
ーゆあさコーポレーションオフィスー
(あおいが何やら興奮している)
〜♫〜
イッチロー!!
トゥートゥ
ナンバ、フィフティワンッ!
フーフゥ!
スター!!
カムザライッ!!?
(なにやら、懐かしいCMソングを歌っている。どうやらテレビで、メジャーリーグを観ているようだ)
カキンッ
(柔らかい打球がセンター前に抜ける。イチローがヒットを打った)
ナイバッチ!!
やっぱイチローかっこいいなぁ...。
おや。
これは失礼しました。
どうも。あおいです。
今日はイチローさんについて書きたいと思います。
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この記事は、この本を読んで書きました。
この本は、NHKで放送されたイチローと糸井重里さんの対談をまとめたものです。
この本の中で繰り広げられる、2人の何とも言えない優しい対談の中から、特に自分に響いたものを紹介したいと思います。
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甲子園の空です。
甲子園球場です。
日本中の高校球児の憧れの地です。
僕も憧れた球場です。
僕も昔は高校球児でした。
小中高と野球に明け暮れていました。
10年以上も、白球を追い続けていました。
高校球児とはそんなやつらです。
野球に青春を捧げたヤツらの集まりなんです。
そんなやつらが。
土曜も日曜も野球やってるような野球バカたちが、甲子園でプレーすることを夢見るのです。
イチローです。
バリバリのメジャーリーガーです。
高校球児の憧れの選手です。
イチローも甲子園に出たことがあります。
彼は3年間で、2回も出ることが出来ました。
けれど、ヒットは1本も打てませんでした。
チームも一回も勝てませんでした。
甲子園はきっと、そういうところなんだと思います。
シアトル・マリナーズの本拠地、セーフコ球場です。
なんだか、かっこいいですね。
イチロー選手が10年以上もプレーしている球場です。
イチローは言いました。
「実は、1本ヒット打った時って、飛びあがるくらいにうれしいんですよ。けど、日本で、最後に野球をやっていた時っていうのは.....ヒット1本がうれしくなかったんですよね。ぼくは、そのうれしさを求めてアメリカに行ったっていうのもあるんです。アメリカに行って、1本ヒット打ったら、ものすごいうれしいだろうな。そう思ったんですね」
16万人の高校球児。
そのトップともいえるプロ野球。
そこですら彼は満足出来なかった。
甲子園で一本もヒットを打てなかった男が今、何を思うのか。
どんなことを考え、何に悩み、どうやってそれを克服してきたのか。
僕はすごく興味がありました。
イチローのことをもっと知れるかもしれない。
だから僕は、この本を手に取ったのかなぁ。
凡打から学ぶ
1994年から、メジャーに行く前年の2000年まで、イチローは7年連続で首位打者に輝いている。
これは、異常なことである。
首位打者というのは、簡単にいえば、一番ヒットを打つ確率の高いバッターということだ。
イチローが打席に立てば、10回のうち4回近くもヒットを打っていた。
そりゃあ、天才と言いたくもなる。
(すごいことになってるイチロー。でもこの時の球は、とれなかったらしい)
しかし、この時彼は悩んでいた。
スランプだと思っていた。
日本で一番「打てる男」だった時、イチローは苦しんでいたのだ。
自分のカタチが全然みえてこなかった。
その期間、実に3年。
1996年か1999年までの間、彼の中に、「打てるという感覚」はなかったのである。
そんな彼に、カタチをつかむきっかけを与えてくれたのは、気持ちのいいヒットではなく、ひとつのセカンドゴロだった。
1999年4月11日。ナゴヤドームでの西武戦。
9回表に打ったセカンドゴロが、イチローに強い感覚を与えた。
イチロー
かなり高い確率でヒットになるはずだったんです。
でも、現実にはそれが単なるセカンドゴロ。
自分のイメージに描いたフォームとセカンドゴロになってしまった実際のフォームとを重ね合わせ、方程式を解くようにして。
そうしたらはっきりとした解答が見つかったんですよ。
こんなにも明確な解答を手に入れたのは、僕の野球人生の中で初めてだった。
(ムネリンとイチロー)
イチロー
通常は、良い打撃をする、ホームランを打つ、ヒットを打つ、そういうことによって、「あ、自分はこれで大丈夫だ」と思うらしいんです。
僕もそうしてきたんですけど、その感覚って、続かないんです。
長く続くもの、強いものというのは、「凡打をして、その凡打の理由がわかったとき」なんですね。
こういう体の動きをしてしまったから、こうなったんだ。そういう答えが見えたときは、かなり強い感覚ではないかと思っています。
まさに「失敗に学ぶ」ですね。
僕も普段の生活の中で、失敗に学ぶことは多々あるけど。
こんなにも正確に、その原因を把握しようとしたことはないなぁ。
「なぜ上手くいかないか」
その理由を知っているということが大事なんですね。
ぼくも、なんとなく分かるような気がします。
好きなのに苦しい
実は、このテーマを書くために、この記事を書こうと思いたちました。
ほんとはここだけ書ければ良いと思っていました。
それほど、ここに出てくるイチローの言葉は、今の僕にとってなにか大きな存在だったのです。
みなさんにとってはきっと、「ふーん」って感じの言葉が、今の僕の、人生のこの一点において、すごくしみてくる言葉だったのです。
そういうことってありませんか?
みんなはそうでもないのに、自分にだけ強く響くこと。
まあいっか。早く行けってかんじですよね。
その言葉は2003年に生まれました。
メジャー1年目の2001年。
彼は躍動した。
242本のヒットを打ち、3割4分9厘という打率を残した彼は。
1年目から首位打者になった。
MVPにもなった。
その活躍が周囲の目を変えた。
野球というものを教え込まれ、一番の理解者であった父親には反対されていた。
「お前は体が小さいから、メジャーではやっていけない」
イチローの身長は180cmだ。
日本人としては大きい方だ。
それでもチームでは一番小さく、一番軽かった。
チームどころか町中でも、自分より小さい人は滅多にいなかった。
アメリカ人は最初、イチローを素晴らしい選手だと褒めた。
しかしそれは上辺だけだった。
本心では、全然そんなこと思ってなかった。
むしろ、「日本人なんかに打たれてたまるか」と、アメリカ人はイチローを小馬鹿にしていた。
しかし、彼の活躍が、周囲の評価をみるみるうちに変えていく
イチロー
聞いてる側にとって、ちょっと聞き苦しいことをヤツらが言い出したら、それは本音ですよ。
そしてさらにそれを超えれば、ほんとの評価になる。
そこで称賛されれば、ホンモノですよ。
イチローはアメリカに受け入れられた。
メジャーリーガーとして認められた。
しかし、そこから彼の苦しみが始まる。
彼はマークされた。
前年のMVPを、メジャーリーグは徹底的に研究した。
球場の至る所に設置されたカメラで、イチローの癖を研究した。
どこがイチローの弱点か、どうしたらそこを突けるか。
2年目、メジャーとの本当の戦いが始まった。
それでもイチローは打った。
「2年目のジンクス」をはらいのけ。
208本のヒットを打ち、3割2分1厘という高い打率を残した。
メジャーリーグとの戦いに勝ち。
ファンの期待に応えた。
そしてその期待はどんどん膨らみ、翌年のプレッシャーとなってイチローにのしかかる。
そして2003年。
イチローにとって最も苦しいシーズンが始まる。
(イチローのバットを作っている、バット職人の久保田五十一(くぼたいそかず)さん)
2003年の春。
彼は打てなかった。
どん底のスランプだった。
イチロー(2003年のシーズン終了直後の談話)
重圧や怒りで吐き気がしたり、息が苦しくなったりすることは過去になかったことです。
今までのぼくの中にはインプットされていなかったことでした。
メンタルが肉体に及ぼす影響は、とてつもなく大きなもので、
数字を重ねることで出てくるプレッシャーは、そうじゃない状況の中で訓練するのがむずかしい。
そういう意味で、経験というものは大きいと思います。
さらにイチローは、こんなことを言っている。
イチロー
今回のように苦しいシーズンで、経験出来なかったことをくぐり抜けると、もっと、野球を好きになりますよね。
はっとした。
なんでだろう。
ぼくはこの言葉に救われたのだ。
こんなに短い言葉に、なにか「光」みたいなものを感じたのだ。
きっとそれは、大好きな野球に苦しめられたイチローが言ったからだと思う。
イチローほど野球が好きな人は居ない。
そんなイチローが、このシーズンは苦しんだ。
その日の一本目のヒットが出るまで、ガチガチに緊張し、吐き気がするほどだったという。
それでも、イチローは野球を嫌いにはならなかった。
プロだからではない。
一人の野球人として、かれは野球の魅力を再び見つけたのだ。
仕事ではなく、趣味として。
生きるための手段ではなく。
野球をし続ける人生が、幸せなんだと感じたのだ。
これはとても素敵なことだと思う。
イチローが感じたプレッシャーはきっと、ぼくなんかが想像出来るものじゃないんだろうなぁ。
それでも彼は野球を捨てなかった。
むしろ、その苦しみを乗り越えることで、もっと野球を好きになった。
好きで始めたこと。
自分がやりたいから始めたことなのに、なんだか嫌になってしまうこと。
そういうことってけっこうある。
単純に、今日はやる気しないなぁって日もある。
目の前に大きな壁が立ちふさがるときもある。
大事な人に反対されることもある。
一緒にやっている人と、意見が食い違うこともある。
自分の成長が、とてつもなくゆっくりに感じて、もう限界なんじゃないかと思うこともある。
順調にいってるからこそ、みんなの期待が重くのしかかることもある。
そんな時、僕は。
キツいな、と思う。
もうやめた方が楽なんじゃないか?
そんな風に思うことだってある。
そんなに頑張らない方が、周りと上手くいくんじゃないか?
なんでこんなこと始めたんだろう?
そんなことまで思ってしまうのだ。
だからこそ、イチローの言葉は僕にとっての救いだった。
苦しくても苦しくても。
その先にきっと、もっと素敵なことが待っている。
そんな風に考えられる自分にちょっとだけ近づけた気がした。
この先どんな困難があっても。
そこで、ちょっと踏ん張ってみようと思った。
イチローさんも気が変わる
ここまでイチローを散々持ち上げてきた僕だが。
最後にイチローのちょっと面白いエピソードを紹介しようと思う。
2003年の時点でイチローはこんなことを言っている。
イチロー(イチローも大好きな「古畑任三郎」に、もし犯人役で出ないか?というオファーが来たら。という質問に対して)
畑違いのことはするべきではないと思っています。
だから今は、古畑任三郎に限らず、どんなドラマのオファーがきても、お受けするつもりはないですね。
しかしその3年後。
これである。
なにがあったんでしょうね?
畑違いのことはしないと言っていたイチローが。
しっかり、犯人役をこなしていた。
なんかおもしろくないですか?
どうやら「本人役」っていうのが、彼の中では大きかったらしいです。
(詳しくは古畑任三郎公式HPで)
イチローも人間なんだなぁと、ちょっと思った出来事でした。
10年連続で200本安打を達成したイチロー。
しかし、去年でそれも途絶えてしまい、今年の成績もいまいちパッとしない。
けどきっと復活してくれると僕は思う。
今まで数多くの苦難を乗り越えてきた彼なら、きっと大丈夫だ。
とにかく今年は、200本打ってくれイチロー!!
頑張れイチロー!!
【その他のイチローの本】
僕はまだ読んでいないけど、これから読んでみたいなぁという本を紹介します。
イチローと北野武の対談
『イチローの流儀』
↓野球少年の時に読んで、衝撃を受けた作品。
イチローの少年時代や、彼の練習法などが描かれている。
おわりまーす。
今日も読んでくれてありがとうございます。
読者のみなさんに、「ほんとに支えられているなぁ」と思うこの頃です。
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